
楽山大仏
■ホテル出発
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■起床 (06:00)
■ホテルの窓左側から見た「大渡河」
真ん中の中洲が「大仏堰」、
その左奥に「楽山大仏」が見えるはずが曇りで残念!!
■モーニングコール (06:30)
■朝の散歩 「大渡河」沿いをブラブラ (06:50〜07:10)
「岷江」に合流している「大渡河」の眺めがいい
よく見ると何と泳いでいる人がいる。「岷江」と「大渡河」が合流しているので川の流れでに乗れば川岸に付く感じ。
嘉州賓館ホテル全景
二人水泳スタート 画面中央にわずかに二人が見える
河の中央の波の横線は奥の「岷江」と手前の「大渡河」が合流しているので境目に波が立っている
泳いでいる人の頭がわずかに見える。
河の合流の関係で河の流れが川岸に向かっている。
道の左側に泳いで来た人が帰ってきている。
■朝食(07:30)
■バス出発 (08:15)
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■楽山大仏観光
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■楽山大仏とは
高さ71m、肩幅28mという世界最大級の石刻の弥勒座像で、古くは凌雲(りょううん)大仏とも呼ばれ、凌雲山を背に
悠々と岷江(みんこう)を見下ろしている。
治水と船の運航の安全を祈願するために、唐代の開元元年(713年)に建造が始まり、90年後の貞元19(803年)に完成した。
■船から楽山観光
■船乗り場到着(08:38)
■入場チケット
チケット表と裏
■救命具着用
船に乗った時は救命具を必ず着用します。
船の先頭に柵がありますが、ここは有料の写真を撮る場所です。
■観光船出発(09:00)
向きを変えて出発
■だんだん大きな楽山大仏が見えてきました
■ついに楽山大仏を見る(09:07)
■通り過ぎたらUターンします
■楽山大仏の手前で停止
楽山大仏の手前で速度を落として停止状態にします
もう少し前に行かないかなあと思っていたら、前列はベストポジションは有料写真撮影の場所でした
■有料写真撮影
記念に写真撮影を頼みました。
色々なポーズをやると枚数が増えて値段も高くなるので注意!!
1枚 元でした。
■船着き場に戻ります
■遠くから見ると大仏が寝たように見えます(09:39)
頭を右にして眠る釈迦の姿が見える。頭部は霧でハッキリしない。
■途中で対岸にしばらく停船(09:43)
たぶん、有料写真撮影のメモリーでも渡したのでしようか
■船着き場到着(09:51)
■陸から楽山観光
船着き場到着から楽山入口まで川沿いを歩きます。
船で行ったコースを川沿いに歩きます。
■楽山入口(10:07)
■入場チケット
チケット表と裏
■階段を上る(10:07)
■楽山大仏到着(10:22)
■楽山大仏のお顔が大きい
■添乗員さん
■凌雲寺(りょううんじ)見学
■凌雲寺(10:40)
残念ながら寺院内は工事中でした。
■駐車場に帰る (10:45〜11:20 35分)
凌雲寺を出て、駐車場まで歩く
■成都に戻る (11:22〜13:25 約2時間)
高速・トイレ休憩 店があるので水を購入する。(12:25〜12:35)
水2元
■昼食「老房子」(13:30〜14:25)
W杯サッカーの勝敗表が貼ってあり、TV放映していました。
味も良く、料理も上品な盛り付けで、お客さんも多かった。
■「老房子」から歩いて「武候祠」に行く 5分
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■武候祠見学
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■三国志ゆかり武候祠見学
三国志ファンなら必見の武侯祠(ぶこうし)です
三国時代の蜀の宰相・諸葛亮(しょかつりょう)(孔明)を祭る祠堂で、主君である劉備を祭った漢昭烈廟(かんしょうれつびょう)と隣接して建てられている。
武侯祠の「武侯」というのは中国の後漢時代に登場した英雄、劉備玄徳の軍師、諸葛孔明死後の諡号(おくり名)「忠武侯」に因んでつけられたものです。
もともとは、劉備玄徳を祀る「漢昭烈廟」だけでしたが、明の時代に諸葛孔明を祀る「武侯祠」と「漢昭烈廟」が一つになりました。
「君臣合廟」になり、劉備は皇帝で、諸葛孔明は臣なので、劉備の「漢昭烈廟」と言うべきですが,人々はもっと諸葛孔明の才徳を慕い、一般的に「武侯祠」と呼ぶようになりました。
■入場チケット
チケット表と裏
■漢昭烈廟(かんしょうれつびょう) (14:35)
諸葛孔明の主君、劉備玄徳(りゅうびげんとく)の陵墓
「武侯祠」の正面の額に「漢昭烈廟」と記されているが、「昭烈」というのは劉備の謚号で、劉備が白帝城で亡くなってから、その屍体が成都に運ばれ、葬られました。
■唐碑(三絶碑) (14:48)
諸葛孔明を讃えた唐代809年建立の石碑。
「蜀丞相諸葛武侯祠堂碑」は「三絶碑」といわれる唐代に立てられた石碑で、三絶とは石碑の文章、石刻技術、書跡の三点が素晴らしいとの意味です。高さは367cm、幅95cm、厚さ25cmで内容は諸葛孔明の生涯の事績を記したものです。
文章は当時の宰相裴度、彫刻は魯建、書跡は著名書道家柳公綽です。
■「劉備殿」(昭烈殿)
■明良千古 (14:55)
劉備殿の門前の額に「明良千古」と記された一つの扁額(横に長い額)がある。
「明」は劉備が賢明、「良」は諸葛孔明が忠誠、「千古」という言葉は中国の名所古蹟でよく見られ、後世まで伝わるという意味です。
■「劉備殿」(昭烈殿) (14:56)
劉備玄徳を祀っている劉備殿
「業紹高光」
「業」は業績、「紹」は越えている、「高」は前漢の開国皇帝の高祖劉邦のこと、「光」は後漢の最初の光武帝劉秀のことで、「業紹高光」の意味は劉備は劉邦、劉秀よりも業績が上である、つまり劉備に対する高い評価を言っています。
劉備の像
劉備の像は天秤形の冠をかぶり、金の着物を身に着け、珪を手にしており、当時の成都の主人としての立派さが窺えます。
関羽 張飛
劉備像の東西にはその兄弟の契りを結んだ関羽と張飛の殿です。
「義薄雲天」 関羽の「義」 「誠貫金石」 張飛の「誠」
■文臣と武将の廊
■出師表 (15:17)
「出師表」とは、諸葛孔明が劉備の死後、魏との戦いの出陣に当たり、若年の蜀の皇帝、劉禅に奉った上書です。その内容は、政治の心構えを説き、忠誠のあふれた名文で、「前出師表」と「後出師表」の前後二編があります。
書跡は南宋時代の漢民族英雄岳飛で、武将、書道家としても有名。
●「前出師表」
「臣亮が申し上げます。先帝が創業の半ばでお隠れになり、今の天下は三分の天下で、益州(蜀)には疲弊の色が見え、危急存亡之秋である」で始まる
●「後出師表」
■武侯祠(静遠堂)
■武侯祠 (15:22)
「武侯祠」という額の両側に対聯(対の柱かけ)があります。
左側「一番晤対古今情」、右側「三顧頻繁天下計」。
三顧の礼に酬いるために、諸葛孔明が劉備に計を出した隆中(地名:湖北省襄樊市襄陽の西)での話合いが美談として後世まで伝わるという意味です。
●「静遠堂」 (15:23)
「静遠堂」は諸葛孔明のご殿です。「静遠」というのは諸葛孔明が言った「寧静致遠、淡泊明志」で、心が落ち着かないと遠大な志が実現できないとの意味で、子供を励ます言葉だと言われています。その右に供えている銅の太鼓が「諸葛鼓」で、直径60cm、高さ40cmです。諸葛孔明が南征の時、昼間はそれでご飯を炊き、夜はそれをたたいて警報を発したと言われています。
■劉備の墓(惠陵)
■赤い塀で囲まれた小道 (15:28)
竹と赤い塀のコントラストが素晴らしい。
以前のTV放送で地震の後、この赤い塀にだいぶヒビが入っていましたが、
ヒビは修復されていました。
■惠陵 (15:30)
劉備のお墓は「惠陵」と言われ、「漢昭烈皇帝」という石碑の後にある小山のなかに劉備の亡骸が葬られています。
漢昭烈皇帝

惠陵

■買い物 (15:34〜15:53)
■三國聖地 (15:55)
錦里散策
武候祠のすぐ西隣にある三国時代を模した飲食街、四川の名物小吃が食べられる。
三国志ゆかりの品々も売られている。
錦里をブラブラ (15:56〜16:30)
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■夕食「十八手 風味酒楼」
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■ラテックス寝具店ショッピング (17:05〜17:30)
枕、ペットを売っていた。
興味が無いので外の椅子で待つ
■「十八手 風味酒楼」 (17:54〜18:38 44分)
お土産売りに囲まれる
■ホテルに戻る
ホテルを出て右側を少し歩いてスーパーがある 「互恵超市」 (19:32)
■川劇を見に行く (19:42)
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■楽山大仏、武候祠 感想
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●楽山大仏
○予想通りにでかく見事な楽山大仏でした。
○船からと地上の頭上から見れたのは良かったです。
●武候祠
○三国志ファンなら必見の場所
○諸葛孔明像や他の武将の像は見事
○隣に古い町並みを再現した錦里のブラブラ歩きは珍しい小吃等があり楽しい
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